少年の君(とプロミシング・ヤングウーマン)ネタバレあり

走り書きゆえ文章がおかしい箇所や、勉強不足で作品理解が足りていない、間違っている箇所も多いと思うのですが、ご容赦ください。

「少年の君」は期待していたほどではなかったというのが観終わったあとの正直な感想だった。ただ、前週に観たプロミシング・ヤングウーマンと共通する部分もあって、2週連続で良い作品を観られたなとは思った。改めて、毎週何か映像作品を観るという一年前には想像もできないような日々に出会えたことに有り難さを感じた。

家族に見捨てられチンピラ稼業に勤しむシャオベイと、強烈ないじめや借金の取り立てに耐えながら名門大学への進学のために必死に勉強するチェン・ニェンが、立場の違いを超えて心を通わせていく話。シャオベイがチェン・ニェンのボディガードをすることで事態が好転していくと思いきやいじめはエスカレートし、我慢の限界に来たチェン・ニェンが軽くいじめっ子を押したところ、階段から転げ落ち死んでしまったことを機に一気に話が急転していった。その後、シャオベイが罪をかぶりチェン・ニェンは見事大学に合格するが、偽装工作を見破った刑事に説得され2人は自白し収監されて物語の本編は終わる。

直前の試験に合格した際のシーンで母親に「善人は報われるのね」と言われたときにチェン・ニェンの複雑な表情に対して、罪を認めるためにシャオベイと無言の面会をし、泣きながらもすっきりとした表情に変わっていく対比は見事だったと思う。

「いじめは良くない」という表向きのテーマと同時に、刑事が言っていた「誰かを犠牲にして成功しても本人が辛いだけ」ということが本作の裏テーマだったように思う。

実はチェン・ニェンはこれ以前にも「罪」を犯しているのが印象的だった。

まずは、一人のクラスメイトがいじめを苦に自殺したとき、直前に「私はいじめられているのになんで無関心なの」と言われるところ。

そして、母親との電話のシーンで、自分のために辛い出稼ぎをしながらも明るく応援してくれる母親に対して、チェン・ニェンが唇を噛み締めながら涙を流していたところ。

チェン・ニェン自身も自分がより良い生活をするために必死だから無関心にならざるを得なかったと思う。

親が子どもに期待して犠牲を払うのも、子どもが過剰に責任を感じる必要がないとは思う。

でもそういうちょっとした「事情があるし仕方ないよね」が積み重なって、誰かが傷つき、自分もまた傷ついていくのだと思う。

誰かが決定的に悪いわけではなく、皆大きな社会のうねりの中でときに被害者、ときに加害者となって、でも何となく流して過ごしている。

本作のいじめっ子も、だからといって許されるわけではもちろんないが、親の過剰な期待やプレッシャーに押しつぶされそうになることからいじめることで回避していた。

そういう中で唯一の贖罪は、自分の中の弱さを受け入れて自分が責任を持って変わることなんだと思う。本作では最後まで言い訳していたいじめっ子ではなく、収監されて当初の人生とは違う道に進んだかもしれないけど、それができたチェン・ニェンとシャオベイだった。完璧にはなれず過去の過ちが全て許されるわけではないけど、弱さや罪を認め、善く行きていくことが本当の幸せなのだと思う。そういう意味で”better days"なのだと感じた。

これはプロミシング・ヤングウーマンでも同じだったと思う。主要人物の多くは火を見るより明らかなほどの悪人ではない。でもみんな「仕方なかった」や「自分にも事情があった」と目を背ける。だから二度と関わらないでといったマディソンやライアンは過去から逃れられなくなった。逆にニーナを忘れず自分の悪を認め善く生きようとして前を向けた弁護士のおじさんは、全て無かったことにはできないにしても、最後キャシーに頼られ多少は解放されたのだと思う。

 

ライアンはキャシーに対して「誰だって人に誇れない過去があるだろ」と言っていたけど、それはそうだと思う。少なくとも自分は、両作のような犯罪はしてないが、それでも人には誇れないようなことを言ってしまったり少なからず傷つけるようなことをしてしまったことはある。でもだからこそ、そういう弱さと向き合って善く生きようとしないといけないのだと思う。

 

少年の君については、その他、ボディガードをはじめたときはフードをかぶり道を挟んで歩いていたシャオベイが、最後は前を向いて防犯カメラを見て歩けるようになったことや、道の反対側でなくチェン・ニェンの後ろを歩くなど、距離の使い方が良かったと思った。

ちなみにもっとも不満だったのは、ここに肉体関係的な要素が入ってきたところ。特に冒頭の2つの場面(おそらくわざとだけどシャオベイが気があるのか?とチェン・ニェンにしつこく聞くところと、シャワー浴びているときに一瞬覗いているのかと思わせる画)は不要だった。両方ともシャオベイの本心が関係を持つことではないことを明示するために入れているのかも知れないけど、一瞬でもそういうのを出されるのは個人的には台無しだった。そのせいで「シリアス版ハニーレモンソーダ」に見えてしまった。

二人の連帯を描く点では、ペトルーニャに祝福を(敢えてガラス越しに手だけ重ね合わせる)、やSwallow(看護師とベッド下に潜るところや最後そっと見守るように立つ距離感)、あの子は貴族(道路を挟んで手をふる距離感)は完璧だったと思う。せっかく、他のシーンで距離を使っているので、本当にこの設定と描写だけ余計だったと思う。

アナザーラウンド(ネタバレあり)

冴えない中年の男性教師たちが血中アルコール濃度を0.5%を保つことで気分を上向かせて、これまでと違う日々を歩もうとする話。何となく想像できたように途中でアルコール濃度を制限することをやめ、極限まで飲むことでそれぞれが人生を決定的に破綻させてしまう。マーティンは家族にあたってしまい、別居に。トニーはアルコール依存症から抜け出せなくなってしまう。
でも主人公たちはそういう失敗を糧にしながら、単に現実逃避するのではなく、現実の人生をどのように楽しむことができるか理解していく過程がとても良かった。
途中に出てくる「人生は期待通りにいかない」や、最後に出てくる「5年後は未知の世界」「今を楽しもう」という言葉が良く表していたと思う。今を楽しむことは退廃的に享楽的になることとは違う。自分にとって心から大事にしたいと思うことをしっかり大切にすること。マーティンが家族との時間を大切にしたいと思いながらつい、お酒を上限まで飲む企画に参加してしまい、結局余計に家族との関係を悪化させてしまって後悔していたように。
 
「ドラッグやお酒に依存するなんて情けない、駄目な人間」と切り捨てる風潮はあるが、現実はほとんどの人にとって苦しい。それでも、周囲の人から見てちっぽけでも本人が勇気を出して向き合うと思ったより事態は好転するし、それは客観的な成果のようなものではなくて、本人が楽しめているかどうかで決まることを上手く描いていたと感じた。
そういう風になるために、本作で主人公たちを後押ししてくれたのがお酒だったが、他の人の手助けだったり何でも良いのだと思う。
 
冒頭で「マーティンは真面目すぎるよ」と言われるが、それはお酒を飲まないことだけでない。もっと肩の力を抜いて良い、失敗しても良い、思った人生と違っても良い、自分の不完全性を受け入れて前に進んでいく道を楽しむことができるかが大事。
マーティンは優秀な研究者になれるはずだったが家族の事情を優先して高校教師になったらしいことが推察されたが、違ったかもしれない人生や上手く行かないことをくよくよ考えずに、今の一瞬を楽しむことができれば良いのだと思う。別に人生にストーリーなんか必要ない。そんなものほとんどの人にないしそれで良い。世界の広さや長い歴史からみたら、ちょっと日本で成功していたってちっぽけすぎて大差ない。アル中のトニーだってメガネ坊やに勇気を与える大事な人になれるし、マーティンだって生徒にとって大事な教師になれる。あまりに平凡で一見駄目なおじさんたちを主人公にしてお酒を後押しのきっかけにすることで、安易な"共感"に頼らず、自己の不完全性に向き合うことと今を楽しむことの大事さを伝えてきた点がとても良かった。少年の君も同じ方向で好きだったけど、ややマイナスポイントがあった一方、劇中曲も含めアナザーラウンドは個人的には好きだった。

犬ヶ島感想(ネタバレ含む)

まずストップモーションとは思えない映像の滑らかさに目を見張った。お寿司を作るシーン、相撲のシーン、犬の毛並み、ナツメグの芸等など。舞台は長崎市と思わしき町で、独裁者である小林という人物が政治を仕切っている。小林は犬を非常に嫌っており、様々な手を使い犬および親犬派を追放しようとする。

 

面白かったのは、節々に実際の出来事を想起させるような隠喩や描写が散りばめられていたこと。例えば、ロボット犬を開発する大臣が明らかに軍閥であること、トレイシーがメーデーを彷彿とさせるような発言をしていることなど。非常に技術の発達した社会であることを思わせるような描写と、白黒テレビだったり市長が古めかしい湯船に入っていたりと時代設定は謎。後者はどちらかというとオリエンタリズムが色濃く反映されている気もするが、市長の演説スタイルやプロパガンダの文字のフォント含め、第二次世界大戦前の全体主義を想起させる描写になっており、一概にオリエンタリズムと批判するのも良くないと思った。

 

むしろああいう描き方をすることで、直接扱っている例は話す犬という極端なものにも関わらず、特定の集団を政治的に追いやり抹殺する人間社会の側面と結びつけやすく話に入り込みやすくしてくれたと思う。とはいえ、人間社会側で犬の抹殺に声を挙げる人物がアメリカ人の白人留学生というのはどうなんだろう...というかそうすべき必然性はなかったのではないかと思わなくもないが、それもまた全体主義の閉じた空気感を描くには良かったのかもしれないと感じた。

 

市長が"Respect"と言いながらも、冷淡にも強制帰国を命じるシーンは思わず有り得そうと頷いてしまった。さらに対照的に主人公となる犬5匹の決め方が印象的だった。恐らく5匹の中でチーフが最も力が強く生存能力も高いのだろうが、あくまでも決定は多数決でやっており、それに対してチーフも従う姿が見事なコントラストになっていたと思う。小林市長は"Respect"と言って、親犬派の渡辺教授にも発言権を与えるが、その言葉とは裏腹に狡猾にも殺害を企てていく。まさに一見民衆の味方と思えて自分の権力欲を満たすことしか考えていない、民主主義制度を利用しながら乗っ取っていく独裁者の特徴を捉えていてとても良かった。

 

極めつけは最後で、小林アタリが市長になったのち、犬の厳罰化を議論する際に死刑などの極論に左右されずに穏当な決定をするところにも表れていた。スピーチで(今回は俳句)世論や政治的リーダーの心が変わり虐殺に終止符が打たれるということは実際にある話なので良いが、なぜあれだけ腐敗した社会で過去の政治的リーダーがきちんと訴追されるのか(訴追されて初めてアタリが市長になれるので)などはよくわらかず雑と言えば雑だが、全体的にエンタメとして観るべきものだと思うのでそこまで求めるのは酷かもしれない。いずれにしても、犬の会話などエンタメとして面白い要素が十分にあった上で、設定もあまりにも理解できないものではなく、むしろ要所要所は抑えたものになっていたので最後まで楽しく観ることができたと思う。